【コラム】親から受けた、溢れんばかりの愛を他人に求めてはいけない

過去の恋愛を思い返すと、多くの失敗がある。
その失敗とは一つの括りではない。
「あんな奴と付き合うんじゃなかった」という相手に対しての憎悪から生まれるものや、「あの時こうしていれば、今もあの彼と一緒にいられたかもしれない」など、自分の行動を指す場合など、時代や状況によって様々な「失敗」が生まれる。

物事は失敗を繰り返せば、改善することができる。恋愛もそうだ。
相手のクズっぷりを見抜けなかった自分、相手のことを理解してあげられなかった自分。繰り返せば繰り返すほど、次の相手の時には慎重に、失敗をしないように行動することができる。

自分の失敗により相手を傷つけて別れてしまった場合、次の相手の前では成功しても、過去の相手に対しては申し訳ない気持ちが残る。
しかしそれも、お互い様なのだ。
きっと過去の彼は、その前の彼女を傷つけていたかもしれないし、次の彼女には幸せにしてもらえるかもしれない。
恋愛の失敗はそうして個々が成長し、改善されていくのだ。

しかし、一つだけ、一度や二度の失敗では全く改善されない失敗がある。
「愛情表現の過度な要求」だ。
これは何度失敗しても、何度相手を変えても、彼がどんなに努力してくれようとも、自分が心ではなく、頭で理解するまで失敗を繰り返すものだ。

こればかりは、相手を変えるのではなく、自分の考えを見直す必要がある。
少し悲しい話だが、「他人」は親ほどに自分を愛してはくれない。
家庭環境によってもちろん例外はあるが、あなたが幼少期、問題なく幸せな家庭で育ったのなら、親から受けた、溢れんばかりの愛を他人に求めてはいけない。
いつか彼と結婚して、家族になればその無償の愛を受け取れる日が来るかもしれないし、120%素敵な相手に出会えた場合はそれが一番幸せなのだが、そうもいかないのが現状である。

自分が親だった場合、子供には「自分と同じくらい、いや自分以上にこの子を愛してくれる人と恋愛をしてほしい」と願うだろう。
しかし最初からそんな恋愛をしている人は稀だ。きっと前世でいい行いをして神様に好かれているか、本人が仏のように心が広く、どんな相手でも受け入れられる器を持っているに違いない。

最初から素敵な相手に出会うまで、その時をじっと待つのもいいだろう。
しかし、人間はいつか死ぬ。ある程度のところでタイムリミットがあるのだ。

今からでもこのことを頭に入れておくだけで相手との関わり方が変わり、前回までの失敗を生かした恋愛ができ、恋愛をもっと簡単に感じることができるだろう。

例えば「好き」と表現しない彼に嫌気が差しても、まず彼の愛情表現が何なのかを考えるべきである。言葉では表さなくても、毎日朝早く起きてあなたのコーヒーを用意するのが、彼なりの愛情表現なのかもしれない。

納得がいかない場合は話し合うのも悪いことではない。言葉で欲しいのならストレートにそうお願いしてみるのもいいかもしれない。なぜなら彼はあなたの彼なのだから。

「好きと言ってくれない」だけに不満をためる自分に訊いてみるといい。
「彼は私の誕生日に何もしてくれなかったか?」「行ってきますのハグを忘れた日があったか?」
きっと答えは「No」だろう。

また、考えを改善しない限りはどんなに出来た彼にすら、いつかきっとあなたは嫌気が差してくる。
完璧な愛情表現、完璧な家事、完璧なルックスの彼。
いつまでもその完璧な幸せが続いていたある日のデート。彼の仕事が長引き、5分待ち合わせに遅刻してきた。
完璧を求めすぎたあなたは、「仕事」で「たった5分」遅れた彼にこう思うだろう。
「もう私との約束は大切じゃないのかな」

これを聞くと「いやいや」と笑いが出てくるが、過去の恋愛はそうした、愛情表現の過度な要求が多く思い出される。

あなたの幸せを願って

また、親からの完璧な愛情と、失敗の本質に気づかないまま繰り返す愛情表現の過度な要求により、何度も恋愛に失敗することで、「自分はもう誰にも愛されないのではないか」「この人も結局自分を愛していない」「恋愛がうまくいかない」と、自己嫌悪に陥り、自己評価が下がってしまうことも、不のループを生むきっかけとなる。

それだけは何としてでも避けなければならない。
せめてこのコラムを読んでいる運のいいあなたの、次の恋愛はうまくいくことを心から願っている。